1日 天変地異が起きようと、人間の醜い争いが続こうと、季節は確実に訪れてくる。今年も前半が終盤を迎えつつある
この時になって、テレビををつければ政権のいす取りゲームが酣で、画面を虚しく眺めていて、ふっと、遠い昔の記憶が蘇ってきた。
ほんとうにもう霞がかかってしまっているようなずっと昔のことだけれど、こんなワタクシメがなんと、PTAの会長を小・中合わせて3年もやってしまったのだ。当時は若い教師が殆んど組合活動にのめり込んでいて、その活動が水面下で小学校の若い母親たちを脅かしていた。父母会の日、昇降口にバリケードを築いて、カンパを集めていた、若い先生たちとの確執は壮絶だった。そんなときの3年間だったけれど、私たちの組織に参加してくれた人たちがそれぞれの分野で活き活きと活動して、子どもたちの健康的な学校生活のために体を張って働いた。
何もしない会長職に見ていられないものを感じたのだろう。今でもつくづく私のブレインは素晴らしかったと思っている。
ずっと後になって、高校のクラス会で当時の教育長になっていた恩師にあった時、子どもの学校のPTAの会長が、「父兄をそそのかして共産党活動に走らせたわる〜い奴」というレッテルを張られて、ブラックリストに載っていると聞いて、腰を抜かした。
PTAの委員会で先生達の組合活動の邪魔をするといって、つるしあげられた私のために、仲間が校長と教頭を呼びに行ったら、二人して給食室で皿洗いをしていて、手が離せないと言って出てこなかったことがあった。
保身のためにすべてを私のせいにしたということ。
なんとも情けないその2人の管理職の名誉のために、(たとえ故意にしくまれたものとはいえ)そのブラックリストに載った張本人が私だ、ということを恩師には言わずじまいにした。
規模は小さくともまさに現在の政界と同じことをやっていたというわけ。
菅さんに管理能力があるのかどうかは解らないけれど、兎に角今は全員で菅さんの後押しをするべき、と思うけどなあ。
いちばん笑っちゃったのは、「こんな民主党にした覚えはない」と上ずった声でコメントしたハトポッポ。
…そしてずっと不思議に思っていたこと。子どもたちが転校生だったのに、なんで私にあの面倒な役割が回ってきたのか、いまこれを書いていて、初めて解ってきた。つまり余りに大変な仕事で、引き受け手がなかったんだ。

8日 108回目のユトリーバ例会の日。よくぞここまで続いてきたもの、と考えたら感無量になる。
今年に入って、しばらくお休みしていた淑子さん、新しく来てくださった淑子さん(これはスミコさんと読むんだそうだ)、そしてもう一人の澄子さん。
なんだかこの3人が二人三脚で来てくださったようで、面白い。
今日は総勢10人の出席で、今回も話の途切れる間がない。この会のよいところは、人の悪口がないこと。
コーラスもだいぶ上手になった。
夫が作詞してくれた「ユトリーバに乾杯」という歌を含めて、1時間余り歌ったあとは、ひたすら食べて、飲んで、喋って……歌詞を地で行く一日が過ぎてゆき、日暮れ近く、皆様晴ればれとした顔でお帰りになる。
♪〜皆でユトリーバ 楽しい仲間 晴れた日も 雨の日も
心の中の太陽を ララ うたいましょう 声上げて ラララララ 乾杯!
♪〜皆でユトリーバ 元気な年頃 甘いもの からいもの
皆で美味しく分け合って ララ 手を叩こう おと高く ラララララ 乾杯!
♪〜皆でユトリーバ たのしい集い あふれる話題に 花咲いて
話はずんで面白く ララ 笑いましょう 声高く ラララララ 乾杯!
もう5年にもなるだろうか?皆でユトリーバの歌を作ろう、といって、わいわいとない知恵をしぼっていた時に、いっしょに座っていた夫が席をはずし、す〜っと2階に上がって行って30分後に、こんなんでどう?と持ってきたのがこの歌詞だった。
その晩徹夜でメロディを作ったのも、我ながら上出来。懐かしい思い出だ。
そして、この歌詞のお陰で、メンバーの皆様がいまだに変わらず、誠意をみせてくださり、この最高の集まりが皆の協力で成り立っているのだ。
この会を立ち上げようと、お風呂につかりながらふっと湧いた私の思いつきを、ずっと、ずっと後押ししてくれていた夫が、いま、なつかしい。
9日 梅雨の晴れ間の朝、気持ちをそそられて庭に出た。目的は山椒の実の摘み取り。
このところ3年ばかり、摘み取りをさぼっていて、今年こそはと決めていたのは、何カ月か前に訪れた地元の建築屋さんが
「こんなに立派な木を見たことがない、僕山椒が大好きなんです」
「あら、じゃあ今年の実を上げますね」
というやり取りがあって、気になっていたからだった。
この山椒の木には色々と想い出がある。もうずっと前にこの世を去った舅が大事に育てていた木で、それを引き継いだ夫も毎年の取り入れを楽しみにやっていた。
そんな2代の家長に遠慮して、当時は触りたくてもどこかに遠慮があったのだけれど、今やこの3軒だけの、我が「村」の「村長」の私としては、庭の何もかもが私の思い通りになる。
無精者の私は、どんなに刺がある木でも、半袖の素手で仕事をやってしまうので、あとで気がつくと、腕が惨憺たる状態だけれど、そんなことは一向に気にならない。
おまけに気の早い蚊がうろうろと付きまとうので、かゆいったら!
1時間かかって、中鍋一杯の実を摘み取った。
ネットで調べた、数時間水にさらして…を忠実に守って、明日は目の離せない一日になることだろう。
10日 朝起きたら、昨日の晩水に浸けておいた山椒が、家いっぱいに香りを撒き散らしている。
早速水を取り替えて、タップリの酒と醤油、かつおだしでことことと煮る。
寝起きの悪い重たい気分が、刺戟の多い香りで、しゃきっと立ちあがって、わるくない。
今日は一年ぶりの「ゆきむし会」。
夫の学校の仲間で、もう何十年も続いている「ゆきむし会」は、30年前から夫婦の会になった。
毎年10家族位の単位で、学生時代の軌跡をたどる山の会をやっていたのだけれど、気がついたら旦那方は殆んどが亡くなるか、あるいは存在していても、出席不可能になって、しまったのだ。
それでも、会の歴史を尊重して、一年に一度は集まることにしていた。今日はその日。
去年からわが家を提供することにして、今日は6人が顔を合わせた。
今日のメインは、矍鑠として僻地の写真を撮る旅を続けていられる夫の友人Hさんの、最近の旅、パタゴニア、イエローストーンの写真を見せていただく会となり、お寿司をとっておもてなしをした。
それにしても皆食欲が細くなったもの。
「昔だったらこんなもんではなかったわね」、と言い合いながら、少なめに注文した出前の握り鮨で、ほとんどお腹いっぱい。
それにしてもつくづく実感したのが、この会のセンスのよさで、いまがたがたと世間を脅かしている政治の話などはまったく出ない。
Hさんが写していらしたパタゴニアのコヨーテの親子の写真に感嘆の声が上がって、楽しい一日だった。
出来あがった山椒の佃煮を皆様に分ける。明日学士会館で「歩く会」の40周年の集会があると聞いて、夫が、山椒が大好物だというお友達にいつも上げていたのを思い出して、持って行っていただく。
今日は家中に山椒の香りが漂って夜が更けた。
15日 梅雨酣の季節、うっとうしい空が広がっているけれど、この後にやってくるあのおぞましい灼熱の夏を思えば、今の暗い空がいとおしくさえ思われる。
このところ買い物をさぼっていたら、まったく食材が欠乏してしまった。
さてと、どうしようか、買い物に出れば歩いて5分だけれど、それも面倒くさい。
思いつくままに、庭の蕗や三つ葉、大葉などを採っていたら、隣の居ないと思っていた娘が顔を出した。
濡れ縁に腰掛けてしばらく喋っているうちに、急遽意見がまとまって、久しぶりに木畑亭に行くことにした。
7時過ぎに行ったのに、お店はがらがら。他にお客が居ないと、何だか責任を感じて(そんな必要ないのに)あれこれと注文。
今日はシェフのお任せオードブル、鴨のパイ包み、オニオングラタンスープ、カボチャのスープ、ワイン、
レッドオレンジのジュース、マダム手作りのローズマリーのフォカッチャ、コーヒー、デザート……。
どれもおいしいけれど、明日になったらきっと体重が増えることだろうと、ちょっぴり気にかかる。
デザートの杏仁アイスクリームがとっても美味しいけれど、娘に「これを褒めちゃだめよ、自家製じゃないんだから」とアドバイスされる。
黒豆入りのティラミスは甘さを抑えていて、絶品だったので、これを目いっぱい褒めたら、シェフが、
「そんなに褒められて、嬉しいなあ」、と目じりを下げた。
最初は、割り勘にしようね、と言っていたけれど、ここで娘のお財布を頼ったら、女がすたる、と思い直して、今夜は私のおごり。
食事中に複数のグループが入ってきて賑やかになり、ほっとする。
マダムはいつも、私が行くとお客が入る、喜んでくれるけれど、そうかなあ?
それにしても娘におごって上げられるお財布を残してくれた夫に感謝!
……金の切れ目が縁の切れ目なんてことにならなければいいけどな。
18日 相変らずどんよりとした空が、頭を押しつぶす感じ。
ともすればさぼりたがる怠惰な気分に無理やりエンジンを起動させて、午前中に整骨院に行った。
面倒だと思うのは、只パスを乗り継ぐからだと気がついて、今日は往復とも2駅電車に乗ることにした。
乗れば5分の所要時間で、所詮は価値観の問題。
もうひとついえば、バスで時間をかけるのは、暇人だからなんだ。
この2,3日どうしたことか手首が痛んで、そのことを話したのに、先生ったら、誰かをぶん殴ったんだろう?と相手にされず。悔しいから、やっぱりそうか、と言っておく。
帰りに黄色い蘭と向日葵の花束を買って帰る。玄関と夫の写真の前が、ぱ〜っと明るくなった。
今日は土曜日なのだけれど、ご要望に応えて午後デイホームに行き、1時間どんちゃん騒ぎ。
最後は東京音頭で締めてきた。
これやると、ご老体の皆様がたがとても元気になるのだ。
帰り道田園調布の「ぱて屋」さんでチーズとゴマスティックを買って帰る。
これものすごく美味しい。
夕方になって、退屈しのぎにアウラに遊びに行き、日暮れまで片端から試着して遊んだけれど、結局似合うものがなかった。ホッ!
試着して鏡に映る我が姿におぞましさを感じたので、今夜は帰りに買った4切れの鱒ずしの上半分だけ食べて終わりにする。このところ少し太り気味。
読み返してみて、つくづく思う……怠惰な、纏まりに欠ける一日だったなあ。
19日 一昨日の夜、そういえば鎌倉のカズコさんの声をしばらく聞いてないな、と受話器をとった。
「何してるの?」「ここのところ山椒の実と格闘してるの、お鍋に2杯の収穫よ」「わあ、ほしい!」「よしよし、持ってってあげるね」……かくして、今日の鎌倉行きとなる。
日曜のこととて、彼女が教会に出かけた帰りに合わせて12時、鎌倉駅に駆けつける。今は地震の後の静謐から解放されて、アジサイの季節を迎えた鎌倉は、想像を絶する人出で、駅周辺は、かき分けかき分けけと言った感じ。
駅前から彼女ご推薦のレストラン「ミッシェル ナカジマ」に行く。ここは雰囲気も味も絶品!
地のもののメジナや鎌倉の野菜に舌鼓を打ちっぱなし。もう一回行きたい家だった。
帰りはトンネルを3つ抜けて駅までお散歩を楽しんだ。
稲村ケ崎まで江の電で帰る彼女に付き合って、私も江の島まで電車に乗ったけれど、長谷寺のあじさいを見に行く人たちで一杯の単線電車は2台待ち。
私はこの季節になると頭を占める江の島の上州屋のアユのお菓子を買うのが、回り道の目的だった。
目的を果たして、また藤沢まで江の電に乗って、帰りついたのは夕方5時半。効率のいい小さな旅で楽しかったな。
ちなみに、この日に買った上州屋の水まんじゅうで、ほっぺたが落ちた。夏中にまた買い行くつもり。

22日 昨日デイホームで約束してあったので、午前中楽譜の整理に出向いて行く。3階には入ったことがなく、興味深く見物。
係のアベ君が現れるまでに3階の人たちと、童謡を15分ばかりお付き合いする。
我ながら働き者だわ。
午後になって美容院に1カ月ぶりに行き、ヘナとカットでオンナになって帰る途中、木畑亭の前でマダムとバッタリ。
お茶に誘われたけれど、 そういえば今日はご飯が切れていたのだわ、
(この美容院は仕事が丁寧で、3時の予約で、終わったら6時15分だった)
そうだ!ご飯食べて帰ろうっと、と即決。
今日はほかにお客様がなく、牛ヒレのメニューでシェフとマダムとのおしゃべりを楽しんで時計を見たら、8時だった。
途端に雨戸を閉めてこなかったことが気になり、予約電話が入ったのをチャンスに慌てて帰った。
今日は今まで一番暑い日。今年の夏が思いやられるけど、出来る限りはクーラーはつけないと、堅い決意。
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